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【前半】医療だけでは完結しない——小児循環器医が取り組む先天性心疾患患者の自立支援

  • 執筆者の写真: Yumiko Hosoda
    Yumiko Hosoda
  • 9月28日
  • 読了時間: 7分

更新日:10月8日


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小児の先天性心疾患治療は医学の進歩により生存率が大きく向上しました。しかし治療を終えた患者さんたちが大人になり、社会で自立する段階になると、新たな課題に直面します。


愛媛大学医学部附属病院 小児・思春期 療育学講座/移行期医療(成人先天性心疾患)センターで活動される檜垣高史先生は、医療だけでなく就労や教育など生活全般の自立支援にも力を注いでいらっしゃいます。小児科から成人医療への移行期におけるサポート体制の構築と、その課題についてお話を伺いました。



心臓病治療の可能性への挑戦


ー檜垣先生が小児循環器医を志されたきっかけを教えてください。


子供が好きだったことがあり、医師を目指すことを決めた時点で、小児科医になることを目標としていました。そして、小児科を選んだ後、循環器という分野に惹かれたのは「心臓病を治せるか治せないか」という挑戦に魅力を感じたからです。


もう1つ、研修医1年目の後半にエコー検査に出会い、これがあれば何でも診断できると思ったんです。でも少し勉強していくと、エコーだけでは限界があることに気づくのですが……。もっと深く学びたいと思うようになり、その後、放射線科の先生から週一回指導を受けるうちに、胎児の心臓、つまり生まれる前の心臓病や生まれるときの循環の変化などに興味を持つようになり、小児循環器の道へと進むことを決めました。


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ー小児科医になられてから、どのようなキャリアを歩まれましたか?


当時は小児科を2年間の初期研修後、専門分野に進むシステムで、私は2年目の後半から小児循環器を専門として学び始めることになりました。ちょうどその頃、愛媛県は新生児死亡率が全国ワーストワンという問題を解決するため、新しく周産期センターが立ち上がることになり、初代スタッフとして派遣されました。


その後、さらに専門性を高めるため、東京女子医科大学に1年間研修に行く機会を得ました。当時の女子医大は厳しい修行の場でしたが、あっという間の1年間で、毎日毎日新しいことを学び、研究や学会発表の機会もいただきました。この経験は本当に貴重で、今でも宝物ですね。


ーその後に愛媛に戻られて、本格的に小児循環器医としてのキャリアがスタートしたんですね。


そう言いたいところなんですが、正直な話をすると、愛媛に戻った当初はまだまだ力不足で何もできませんでした。自分としても戦力になりたかったので、カテーテル治療をできるようになりたいと先輩医師に直談判をしたりもしたんですが、「まだ、ここでは任せることはできない」と断られるなんてことも。当然なのですが……。


そのため最初は見学するだけでしたが、徐々にできることが増え、先輩が不在の時などには急な対応を任されるようにもなっていきました。愛媛に帰ってからも、まだまだ一人では力不足でしたが、周りの先生方が本当に助けてくれて。難しい症例を相談すると必ず親身に相談に乗ってもらえたり、様々なサポートをしていただいたおかげで、小児循環器医として少しずつ独り立ちできました。今の私があるのは、間違いなく当時の経験のおかげです。


社会的自立を見据えた医療体制の必要性


ー自立支援事業の現状について教えてください。


愛媛大学病院に戻ってからも、継続して診療に携わっていますが、その間に私が研修医時代から診ていた患者さんたちが歳を重ね、成人になる子どもたちも増えてきました。


そこで気づいたのは、医学的には治療が成功しても、社会生活では困難を抱えることになっている患者さんがいることでした。学校に通えない、就職できない、自立できない。「心臓は治っただけでは幸せになれていないのかもしれない」この現実を目の当たりにして、医療だけでなく社会生活を送れるようにするための自立支援の必要性を感じました。


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ー社会人としての自立ができるまでの支援が必要不可欠だと判断したことが、設立のきっかけだったのですね。


それともう1つ、『認定NPO法人ラ・ファミリエ』という団体との出会いも大きなきっかけとなりました。この団体は元々、小児がんの子どもが入院中に家族が泊まる施設として、愛媛県に2003年に設立されました。愛子さま(皇室)の誕生記念基金の支援を受けて、活動を始めています。


私が本格的に関わるようになったのは2013年頃から。先ほども話した通り、外来診療をしていて、治療は終わったものの就職に悩む若者たちが少なくないことに気づき始めていました。少しでも状況を変えたいと思い、患者さんの就労相談として、団体に所属する専門スタッフを紹介するようになりました。


その後2015年に児童福祉法が改正され、小児慢性特定疾患児童等自立支援事業が法定化されたことで、愛媛県と松山市の両方からの委託を受けて本格的な活動が始まりました。また、厚生労働省科学研究班(檜垣班)の研究代表者を担当させていただく機会も得て、全国の方々と情報共有できるようになりました。私はラ・ファミリエの3代目理事長ですが、当初の滞在施設から相談支援やキャンプなど活動が広がってきたのは、この法改正とタイミングが重なり、幸運だったと思います。


この事業は2015年に始まりましたが、最初はなかなか周知も進まず自立支援事業を知っていただくことからのスタートでしたが、2023年10月から法律の一部改正に伴い努力義務化されたことで、全国的に広がる兆しが見えています。


事業には必須の相談支援事業と任意事業があり、多くの自治体は予算の問題から必須事業だけを実施していました。国が半分を負担しても、残りの半分を自治体が出すのは簡単ではないですからね。努力義務化されたことをきっかけに、各自治体で取り組みが広がってきていると思います。この素敵な事業を必要とする子どもたちにうまく届けていくことができたらと思っています。


医療からの脱落を防ぐ支援の重要性


ー愛媛大学病院の移行期成人先天性心疾患センターが、設立された経緯を教えてください。


先天性心疾患に対する治療の進歩により、いまでは95%以上の患者さんが、大人になります。成人期の先天性心疾患患者さんもどんどん増加傾向にあり、どのように対応していったらいいのかという悩みにも直面していました。


自立支援事業に取り組むようになってから、それと同時期に、成人先天性心疾患を専門にしたいという循環器内科医と出会いました。自立支援・移行期支援・成人先天性心疾患診療の必要性を彼に伝え、愛媛に来てもらい連携体制を構築。こうして移行期医療・成人先天性心疾患診療のシステムが形になり始めました。


循環器内科の中で先天性心疾患を専門にしようという医師は全国でもまだそんなに多くはないと思います。彼らはまだ若くて、これからこの世界を担っていくキーパーソンになっていくものと思います。そういう意味でも、すてきな循環器内科医と連携できたことは幸運でした。


実際に窓口を開設してみて驚いたのは、医療から脱落していた人たちの多さです。先天性心疾患を持ちながら何年も病院に行っていなかった方々が相談に来られて、診療につながると、すぐに入院や手術が必要なケースも珍しくありませんでした。


ー確かに、とあるAED講習会の際に「実は私も生まれつき心臓病なんです。でもどこで診てもらえばいいのかわからなくて何も受診していません」と悩まれている方にお会いしたことがあります。


こうした医療から脱落している患者さんが思った以上に多いんです。窓口ができたことで、そういった方々を医療につなげられるようになりました。


これからの課題は地域連携です。大学病院などの専門センターだけでは対応しきれないので、地域の基幹病院や医師と連携し、情報を共有できるシステムづくりが急務です。


小児期から成人期の生涯にわたり最善の医療が提供されるような-Life-long Cardiology- のシステム構築をめざしていきたいです。



【後半】では、見えない障害を持つ心疾患患者の就労・教育の壁と、NPO運営を通じて見えてきた社会制度の課題について伺います。




インタビュアー 秋山 典男

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