top of page
最新ニュース
ブログ、読み物、対談、全ての最新情報はこちらからお楽しみください
検索


【後半】「手を尽くしても、助けられなかった子がいた」――日本の移植医療を切り開いた医師が語る、子どもの命への責任
学校法人金蘭会学園千里金蘭大学学長の福嶌教偉医師は、1999年2月、日本初の脳死臓器移植に関わりました。それから26年、ドナーへの敬意を貫き、日本の移植医療の基盤を作り上げてきました。 わずか8キロのポータブル小児用ECMO「バイオセイバー」の開発、地方の重症患者を救うドクタージェット搬送ネットワークの構築。すべての原動力は、子どもの命を救いたいという強い想いです。 移植医療にかける想いと、子どもの命を救うための取り組みについて話を伺いました。 <【前半】はこちらから> 小児の命を救う技術開発 ――現在の日本における小児用人工心臓の技術水準と普及状況について教えてください。 小児用人工心臓の大きな課題は、サイズと血流量でした。子どもの体は小さいですから、機械も小型化しなければいけない。でもただ小さくすればいいわけではなく、必要な血流を確保しながら、子どもの体に負担をかけない設計が求められます。 そしてもう一つ、搬送の問題がありました。以前のエクスコアやニプロといった機械は約100キロもあって、搬送するのが本当に大変でした。この20年ほどで技術が進
3 時間前


心臓移植の歴史 【29】小児移植の可能性とアドリアン・カントロウィッツの挑戦
章29: 小児移植の可能性とアドリアン・カントロウィッツの挑戦 同時期、ブルックリンの外科医アドリアン・カントロウィッツは、子犬への心臓移植で目覚ましい成果を上げていた。小さな心臓への手術にもかかわらず、多くの犬が手術後も生存し、数ヶ月に及ぶ生存例も見られた。彼は、これは子犬の免疫システムが未発達で異物への反応が鈍いからだと考えた。 この観察は、小児への心臓移植の可能性を示唆するものだった。1966年、彼は人間の乳児に移植を行う準備が整ったと判断した。候補となる乳児は重度の先天性心疾患を抱えており、他に治療法がない状態で、寿命は数日から数週間と見積もられていた。カントロウィッツは、臓器提供者として“ 無脳症 ”の乳児に限定することにした。
5 日前


【前半】「手を尽くしても、助けられなかった子がいた」――日本の移植医療を切り開いた医師が語る、子どもの命への責任
学校法人金蘭会学園千里金蘭大学学長の福嶌教偉医師は、1999年2月、日本初の脳死臓器移植に関わりました。それから26年、ドナーへの敬意を貫き、日本の移植医療の基盤を作り上げてきました。 わずか8キロのポータブル小児用ECMO「バイオセイバー」の開発、地方の重症患者を救うドクタージェット搬送ネットワークの構築。すべての原動力は、子どもの命を救いたいという強い想いです。 移植医療にかける想いと、子どもの命を救うための取り組みについて話を伺いました。 和田心臓移植から始まった、医師への道 ――福嶌先生が心臓外科医、そして移植医療に関わるようになった経緯を教えてください。 きっかけは小学校6年生の時に見た和田心臓移植のニュースでした。1968年8月8日のことです。当時、公立の中学校では坊主頭が決まりで、それが嫌で中学受験の勉強をしていたのですが、その夏休みに「心臓が取り替えられる」というニュースが流れてきて、本当に衝撃を受けました。 ところが患者さんが術後に亡くなった途端、報道が一変しました。それまで「神様」のように扱われていた和田先生に対しての扱いが突
2025年12月30日


心臓移植の歴史 【28】隠れた進展と研究者たちの努力
章28: 隠れた進展と研究者たちの努力 心臓移植を志す外科医たちの表立った進展は少なかったが、その背後では重要な研究が着実に進められていた。拒絶反応の管理が改善されたことにより、実験動物の生存期間は飛躍的に延びた。 リチャード・ロウワーは、強力な 免疫抑制剤 の使用により拒絶反応を抑える試みを開始し、必要に応じて投与するアプローチを採用した。また、彼とシャムウェイは共同研究により、ある動物に新しい心臓を移植し、それを1年以上生存させることに成功した。 ロウワーはその後、1965年にバージニアへ移り、ジェームズ・ハーディの研究とは対照的な手術に挑んだ。人間の心臓をチンパンジーに移植するという試みだった。世間の反発を恐れて公表は控えられたが、この手術は大きな成果だった。初めて、人間の拍動する心臓が故意に止められ、取り出され、別の生物の体内に移植されて再び鼓動を始めた。チンパンジーは数時間生存し続けた。 【用語解説】 免疫抑制剤 体の持つ免疫力を抑えて、移植した臓器に対する拒絶反応を抑える薬剤のこと。
2025年12月28日


2025年度 助成活動に採択いただきました
この度、公益財団法人 小林製薬青い鳥財団ならびにパルシステム千葉コミュニティ活動助成基金より、2025年度の助成をいただくことが決まりました。 いただいた助成金は、ハートキッズ教室や支援プログラムの充実に、大切に活用させていただきます。 先日、代表の杉本が青い鳥財団の贈呈式・交流会に参加してまいりました。 贈呈式では全国の様々な分野で活動する団体の皆さまと一堂に会し、交流を深める貴重な機会をいただきました。こうして得られたつながりを、これからの活動にも生かしてまいります。
2025年12月22日


【イベントレポート】「ハートキッズ教室2025 in さいたま」が開催されました
2025年11月22日、埼玉県では初めてとなる「ハートキッズ教室」を、さいたま市青少年宇宙科学館にて開催しました。小学生から高校生までのお子さんと保護者の皆さまにご参加いただき、心臓のしくみを学ぶワークや縫合体験など、医療の世界に触れるひとときを共有しました。 参加した子どもたちと保護者から、たくさんの声が届いています。 今回はその一部をご紹介させていただきます。 子どもたちの声 お医者さんは、いつもこんなにむずかしい手術をしてるんだと学びました。 100人に1人が心臓病で、医者だけじゃなくいろいろな人たちが医療にたずさわっているということがわかった。 心臓病の人が100人に一人という人数が意外に身近で驚きました。術中はこんなに分厚い服を着て、暑い中命を救っているのがかっこいいと思いました。 友達に心臓病の人がいて、あたたかい目で見守ってあげたいと思った。ペーパークラフトとシリコンの模型でわかりやすかった。 100人中1人を見つけたらあたたかい目でみていきたいと思う。手術の難しさがわかった。心臓移植ということも少し知れた。 他のイベントにも参加し
2025年12月22日


心臓移植の歴史 【27】ハーディの葛藤とその後の進展
章27: ハーディの葛藤とその後の進展 ハーディはこの移植手術を行うまで、長い間悩み苦しみ、同僚たちからもアドバイスを仰いだ。アメリカ国内では、心臓移植に対する強い敵意が渦巻いており、外科医や一般市民の多くから非難の声が上がった。20年後に書かれた彼の回顧録には、「家族と死別したかのようだった」と記されており、友人たちでさえ彼のもとを訪れても肺移植や心臓移植の話題を避けるようになっていた。彼が“タブー”を破ったことは明白だった。ハーディは、社会の受け入れ態勢が整うまで、2人目の患者に同様の手術を行わないことを決意した。 その頃、スタンフォード大学では2000マイル離れた場所で、ノーマン・シャムウェイが同様の結論に達していた。彼もまた、心臓移植の進展は社会的受容と倫理的成熟が必要不可欠であると理解していた。
2025年12月21日


年末年始の営業についてのお知らせ
いつも当団体の活動にご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございます。 年末年始の営業について、以下の通りお知らせいたします。 ■年末年始休業期間 2024年12月27日(土)~2025年1月4日(日) 上記期間中は休業とさせていただきます。 お問い合わせへの返信は1月5日(月)以降、順次対応させていただきます。 ■パルスオキシメーター貸し出しについて ・年内最終発送:2024年12月26日(金) ・発送再開:2025年1月5日(月)~ 休業期間中もウェブサイトからのお申込みは24時間受け付けておりますが、 発送対応は1月5日(月)以降、順次行わせていただきます。 ご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
2025年12月17日


心臓移植の歴史 【26】移植の実施とその衝撃的な結末
章26: 移植の実施とその衝撃的な結末 ラッシュの心臓が停止し、人工心肺に切り替えられたことで、手術は本格的に始まった。ハーディとそのチームは、あらかじめ準備していたチンパンジーの心臓を摘出し、迅速にラッシュの胸部に縫合した。 手術自体は外科的に成功した。チンパンジーの心臓は拍動を始め、人工心肺の補助を減らしても血圧を維持できた。しかし、その心拍出量は限界に近く、ラッシュの身体の要求には完全には応えられなかった。 ラッシュは手術後の集中治療室で短時間ながら意識を取り戻したとされているが、やがて多臓器不全を起こし、術後約90時間後に死亡した。
2025年12月14日
bottom of page