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【後半】「手を尽くしても、助けられなかった子がいた」――日本の移植医療を切り開いた医師が語る、子どもの命への責任

  • 執筆者の写真: Yumiko Hosoda
    Yumiko Hosoda
  • 1 日前
  • 読了時間: 9分


学校法人金蘭会学園千里金蘭大学学長の福嶌教偉医師は、1999年2月、日本初の脳死臓器移植に関わりました。それから26年、ドナーへの敬意を貫き、日本の移植医療の基盤を作り上げてきました。

わずか8キロのポータブル小児用ECMO「バイオセイバー」の開発、地方の重症患者を救うドクタージェット搬送ネットワークの構築。すべての原動力は、子どもの命を救いたいという強い想いです。

移植医療にかける想いと、子どもの命を救うための取り組みについて話を伺いました。




小児の命を救う技術開発


――現在の日本における小児用人工心臓の技術水準と普及状況について教えてください。


小児用人工心臓の大きな課題は、サイズと血流量でした。子どもの体は小さいですから、機械も小型化しなければいけない。でもただ小さくすればいいわけではなく、必要な血流を確保しながら、子どもの体に負担をかけない設計が求められます。

そしてもう一つ、搬送の問題がありました。以前のエクスコアやニプロといった機械は約100キロもあって、搬送するのが本当に大変でした。この20年ほどで技術が進歩して、エクスコアはアクティブという機種に進化して30キロになり、ニプロはバイオフロートという新しい人工心臓になって20キロほどになりました。私がバイオフロートの医師主導治験を担当したのですが、この軽量化によって搬送の可能性が大きく広がりました。


――医療機器の開発にも注力されているのですね。


実はECMO*の開発にも関わっています。当時はPCPS(percutaneous cardio-pulmonary support 経皮的心肺補助)と呼んでいました。1989年か90年ぐらいのことです。それまでは胸を開けてポンプを回していたのですが、足から入れた方がいいとテルモに提案して、カニュラを作ってもらい始めたのがPCPSの最初です。


ただ、当初のPCPSには大きな問題がありました。数日しかもたなかったのです。でも他に選択肢がないから使うしかありませんでした。それで保険点数を付けてもらったのですが、実際には6時間程度の使用しか想定されていない機械なのに「1日目、2日目」という保険点数が設定されていました。これはおかしいと、ずっと20年以上悩み続けてきました。そして今回、やっと新しいECMOが登場したのです。



――その新しいECMOについて、詳しく教えてください。


ポータブルECMO、「バイオセイバー®」*という名前です。良い名前でしょう。これが革命的なのです。わずか8キロしかないのです。従来は数十キロありましたから、女性でも持てるようになりました。


治験では14日間の使用で認可されたのですが、実際には最長で56日まで使えています。普通のECMOは1週間以内にポンプに血栓ができるか、回路が詰まってしまいます。それが50日以上も大丈夫なのです。インペラー(回転羽根)が磁気浮上で浮いていて基軸と全く触れない設計だから、血栓ができないのです。


――このバイオセイバーを使った実際の症例で、印象に残っているものはありますか?


以前治療した患者さんの中で、肺高血圧で肺出血を起こした患者さんがいました。肺の出血が止まらない状態でしたから、通常使用するヘパリンという抗凝固薬を使うことができませんでした。それでヘパリンを一切使わずに、26日間ECMOを回し続けたのです。

その結果、肺の中の出血が全部きれいになって、その患者さんは歩いて電車で福岡まで帰ることができました。すごいECMOでしょう。これも世界中で最高のECMOだと思います。

これまでのECMOは、実は6時間以上使用することが認可されていませんでした。6時間以上は安全性が確かめられていませんでしたから。でも現実には使わざるを得なかった。今回14日間の認可が取れたことで、他のECMOは淘汰される可能性があります。

そして何より、8キロという軽さによって搬送が全く変わります。ジャケットで装着できるようにする予定です。女性でも運べるし、手が自由になるから患者さんを安全に運べる。これまで助けられなかった命を、これから助けられるようになる。それがこの技術の最も大きな意味です。子どもを救うために、私たちはこの技術を開発してきたのです。


地方の重症患者を救う航空搬送ネットワーク


――小児の重症患者の治療について、現在どのような課題がありますか?


地域格差の問題です。人工心臓やECMOを装着しなければ生きられない重症の子どもたち、先天性気管狭窄などの先天性疾患の子どもたちがいますが、そういった子どもたちに必要な高度な医療ができる施設は大都市に集中していて、地方では対応ができません。

地方にいる重症患者を大都市の施設まで運ぶ必要があるのですが、搬送が非常に困難です。重症患者を運ぶには、搬送中もずっと医療機器を動かし続けなければいけない。ドクターヘリでは、200km以上の長距離搬送、重たい医療機器が装着された患者の搬送、機内での集中治療、天候不良時の搬送には適していません。ドクタージェットがあれば助けられるはずの命が、地方で失われているのです。

先ほどお話しした高知の患者さんのような経験を繰り返さないために、患者さんを迅速に搬送できるシステムが必要だと考えました。


――そうした課題の解決に向けて、具体的にどのような取り組みをされているのですか?


重症患者のジェット機搬送ネットワーク、JCCN*を設立して動いています。

欧米では重症患者の航空搬送は、確立されたシステムとして機能しています。特にオーストラリアやアメリカでは、重症患者の航空搬送は日常的に行われています。一方、日本はまだ発展途上です。ドラマ「PICU小児集中治療室」*で重症患者をドクタージェットで運ぶシーンが描かれて、一般の方々にも認知が広がりましたが、実際のシステム構築はこれからですね。


――人工呼吸器やECMO装着患者の航空搬送で、技術的に最も困難な点は何ですか?


まず機械の重量です。人工心臓の駆動装置は以前は100キロもありましたから、飛行機に積み込むだけで大変でした。それから電磁干渉試験が必要です。医療機器が飛行機の機器に影響しないかどうか、事前に確認しなければいけません。

エクスコアアクティブという30キロの機械は、今年中に飛行機での安全性を確認する予定です。そして先ほどお話ししたポータブルECMOのバイオセイバーは8キロですから、搬送が格段に楽になります。さらに、新しい飛行機も(株)中日本航空に購入してもらいました。入口の幅が1.2メートルありますから、これまでのように患者や機材を積み込むのに苦労することもありません。


――JCCNを全国規模で機能させるために、今後どのような取り組みが必要でしょうか。


まず全国のネットワークを構築することです。医療機関との連携を強化して、24時間対応できる体制を作らなければいけません。今は、すでに心臓を搬送するシステムがありますが、患者を搬送するシステムがないのです。どこで重症患者が出ても、すぐに対応できるようにする必要があります。

それから行政や保険制度面での支援も重要です。厚労省への働きかけを続けていますし、保険点数の問題もあります。以前開催された人工臓器学会での日本臨床補助人工心臓研究会のセミナーで、私は「機械的循環補助、ECMOとか人工心臓を付けた患者の航空機搬送」という題で講義をしました。そうやって、これまでの歴史やポータブルECMOでどう変わるかという話をして、理解を広げる活動を続けています。

地方で助けられる命を、確実に救えるようにする。それが私たちの目標です。子どもを救うために、このシステムを必ず実現させます。


全ての子どもを助けられる社会を作るために


――チャイルド・ライフ・スペシャリストについて教えてください。


チャイルド・ライフ・スペシャリスト*は、子どもの心理的ケアの専門家です。病院という環境は、子どもにとって怖い場所ですよね。注射や手術、見知らぬ大人たち。そういった恐怖心を和らげて、子どもが安心して治療を受けられるようサポートする専門職です。

私が初めてチャイルド・ライフ・スペシャリストに出会ったのは、アメリカのロマリンダ大学メディカルセンターで働いていた時でした。そこでは子どもたちが病院を怖がらないどころか、むしろ楽しみにしていました。心理的なケアが治療にも大きく影響するのだということを、その時に実感しました。

日本に戻ってきてから、大阪大学で導入し、国立循環器病研究センターでも導入したのですが、国循には今はいない状況です。日本にCLSの資格制度・教育研修制度ができないかと考えているのですが、まだできていません。でも子どもを救うためには、体だけでなく心のケアも絶対に必要です。これからの課題の一つだと思っています。


――まだまだ改善するべきことがたくさんあるということですね。先生が今後、成し遂げたいことは何でしょうか?


子どもを助けられる社会を作ることです。それが私のプランです。もちろんドナーを守ることも当然ですが、やはり子どもを救いたい。

実は妻も小児科医です。私の同級生です。私が子どものことで動いていると、「あなたしか助けられないのよね」と言ってくれます。これは本当に大事なことです。



子どもは可愛いじゃないですか。可愛いでしょう。だから、絶対になんとしても救いたいのです。


――最後に、先生が移植医療を続けてこられた理由を教えてください。


それはやはり、手を尽くしたのに亡くなってしまった子がいたからです。HLHS(左心低形成症候群)の子どもたちは、どんなに良い手術をしても、どんなに懸命に治療をしても、助けられませんでした。その子たちを救うためには、心臓移植しかなかった。でも当時の日本ではそれができませんでした。 

だから今でも、そしてこれからも、子どもを助けられる社会を作り続けています。ポータブルECMOも、ドクタージェット搬送ネットワークも、全ては子どもを救うためです。一人でも多くの子どもが笑顔で生きられる社会を作ること。それが私の使命であり、生涯をかけてやり続けることです。






インタビューを終えて


福嶌先生のお話を直接お聞きし、その圧倒的な熱量と尽きることのないバイタリティに、ただただ心を揺さぶられました。


「子どもたちを助けたい」という言葉には、覚悟と人生そのものが込められており、胸が熱くなります。


福嶌先生の手によって数多くの命が救われてきたことを思うと、とても感慨深く、尊敬の気持ちで胸がいっぱいになりました。



インタビュアー 秋山 典男

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