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重要なお知らせ/最新の活動


イオン幸せの黄色いレシートキャンペーン応援団体に登録されました
イオンスタイル幕張新都心にて、イオン 幸せの黄色いレシートキャンペーンの応援団体として登録していただくことになりました。 毎月11日の「イオン・デー」にお買い物をするともらえる黄色いレシート。 これを店内の専用BOXに投函いただくと、お買い上げ金額の1%が品物として当法人に寄付されるという、地域と人を結ぶ素敵な取り組みです。 イオンスタイル幕張新都心でお買い物をされる機会がありましたら、ぜひ「ハートキッズ・ジャパン」のBOXを探してみてください! お店で黄色いレシートを受け取った際は、ぜひ思い出していただけると嬉しいです。


ちばのWA地域づくり基金と協力し、寄付募集プロジェクトを開始しました
このたびハートキッズ・ジャパンは、公益財団法人ちばのWA地域づくり基金と協力し、パルスオキシメーター無償貸与事業のための寄付募集プロジェクトを開始しました。 病気のある子どもたちが退院後も安心してご家庭で過ごしていくためには、日々の見守りを支える環境が欠かせません。私たちは、そうしたご家庭を支える取り組みのひとつとして、パルスオキシメーターの無償貸与事業を行っています。 今回の寄付募集は、この活動を今後も継続し、必要なご家庭へ安定して届けていくためのものです。 プロジェクトの詳細やご寄付の方法については、寄付募集ページよりご覧いただけます。 ハートキッズ・ジャパンは、これからも子どもたちとご家族を守る仕組みを、ひとつずつ育てていきます。今後、本事業についてもあらためてご紹介してまいります。 ▶︎寄付募集ページはこちら https://congrant.com/project/chibanowa/21518


3/21 ハートキッズ教室 in 流山が開催されます
【募集終了】 2026年も全国各地で「ハートキッズ教室」を開催してまいります。今年のスタートは千葉県流山市から。 昨年も大好評だった南流山児童センターでの再開催です。 開催概要 ハートキッズ教室2026 in 流山 日時 2026年3月21日(土) ① 10:00〜12:00(小学校2〜4年生対象) ② 14:00〜16:00(小学校5・6年生・中高生対象) 会場 サンコーテクノプラザ 南流山児童センター(千葉県流山市南流山10-2-1) 対象 小学2年生〜高校生とその保護者 本イベントは、2人1組(ペア)でのご参加をお願いしております。 小学生: 保護者の方とのペアでご参加ください 中学生・高校生: 保護者の方、または友達・きょうだいなどのペアで参加できます 参加費: 無料 申込期間: 3/13(金)15:00まで 定員: 抽選制(16組 32名) 体験できる内容 心臓外科医のように模擬心臓・血管を縫う 心臓の働き、血液の流れについて学べる 心臓病、心臓外科手術について学べる お申し込み ※参加されるお子様は、当日に南流山児童センター


小児病棟サンタ訪問を実施しました
2025年12月、サンタクロースに扮したスタッフが千葉大学医学部附属病院の小児病棟を訪問しました。 毎年続けているこの取り組みでは、入院中の子どもたちにクリスマスプレゼントを手渡しでお届けしています。 当日は病棟スタッフの皆さまのご協力のもと、ベッド越しに声をかけ合いながらの訪問となりました。 限られた環境ではありましたが、一人ひとりの子どもたちと触れ合う中で、プレゼントを受け取った子どもたちは笑顔を見せてくれたり、少し緊張した表情を浮かべたり、好奇心いっぱいの眼差しでサンタやトナカイの姿を見つめてくれたりと、さまざまな反応を見せてくれました。 入院生活を送る子どもたちやご家族にとって、少しでも気持ちが和らぎ、クリスマスの雰囲気を感じていただける穏やかな時間となることを願い、病院と連携しながら、今後もこの活動を大切に続けてまいります。


心臓移植の歴史 【30】移植の直前で止まった試み
章30: 移植の直前で止まった試み 1966年5月、カントロウィッツは重度の心疾患を持つ男児を見つけ、数週間後にはオレゴンの病院が無脳症の乳児を ドナー として提供する申し出を行った。その赤ん坊は飛行機でニューヨークまで搬送された。 6月30日の朝、ドナーの心臓は停止し、手術準備が急がれたが、再拍動を開始するには酸素不足の時間が長すぎた。カントロウィッツは手術を断念せざるを得なかった。その後も提供可能な乳児は現れたものの、適切な受け手が見つからず、次の挑戦は翌年の終わりまで待たねばならなかった。 【用語解説】 ドナー(どなー) 移植術で、臓器を提供する側の人をドナーと呼びます。一方、臓器を受け入れる側の人をレシピエントと呼びます。


【後半】「手を尽くしても、助けられなかった子がいた」――日本の移植医療を切り開いた医師が語る、子どもの命への責任
学校法人金蘭会学園千里金蘭大学学長の福嶌教偉医師は、1999年2月、日本初の脳死臓器移植に関わりました。それから26年、ドナーへの敬意を貫き、日本の移植医療の基盤を作り上げてきました。 わずか8キロのポータブル小児用ECMO「バイオセイバー」の開発、地方の重症患者を救うドクタージェット搬送ネットワークの構築。すべての原動力は、子どもの命を救いたいという強い想いです。 移植医療にかける想いと、子どもの命を救うための取り組みについて話を伺いました。 <【前半】はこちらから> 小児の命を救う技術開発 ――現在の日本における小児用人工心臓の技術水準と普及状況について教えてください。 小児用人工心臓の大きな課題は、サイズと血流量でした。子どもの体は小さいですから、機械も小型化しなければいけない。でもただ小さくすればいいわけではなく、必要な血流を確保しながら、子どもの体に負担をかけない設計が求められます。 そしてもう一つ、搬送の問題がありました。以前のエクスコアやニプロといった機械は約100キロもあって、搬送するのが本当に大変でした。この20年ほどで技術が進


心臓移植の歴史 【29】小児移植の可能性とアドリアン・カントロウィッツの挑戦
章29: 小児移植の可能性とアドリアン・カントロウィッツの挑戦 同時期、ブルックリンの外科医アドリアン・カントロウィッツは、子犬への心臓移植で目覚ましい成果を上げていた。小さな心臓への手術にもかかわらず、多くの犬が手術後も生存し、数ヶ月に及ぶ生存例も見られた。彼は、これは子犬の免疫システムが未発達で異物への反応が鈍いからだと考えた。 この観察は、小児への心臓移植の可能性を示唆するものだった。1966年、彼は人間の乳児に移植を行う準備が整ったと判断した。候補となる乳児は重度の先天性心疾患を抱えており、他に治療法がない状態で、寿命は数日から数週間と見積もられていた。カントロウィッツは、臓器提供者として“ 無脳症 ”の乳児に限定することにした。


【前半】「手を尽くしても、助けられなかった子がいた」――日本の移植医療を切り開いた医師が語る、子どもの命への責任
学校法人金蘭会学園千里金蘭大学学長の福嶌教偉医師は、1999年2月、日本初の脳死臓器移植に関わりました。それから26年、ドナーへの敬意を貫き、日本の移植医療の基盤を作り上げてきました。 わずか8キロのポータブル小児用ECMO「バイオセイバー」の開発、地方の重症患者を救うドクタージェット搬送ネットワークの構築。すべての原動力は、子どもの命を救いたいという強い想いです。 移植医療にかける想いと、子どもの命を救うための取り組みについて話を伺いました。 和田心臓移植から始まった、医師への道 ――福嶌先生が心臓外科医、そして移植医療に関わるようになった経緯を教えてください。 きっかけは小学校6年生の時に見た和田心臓移植のニュースでした。1968年8月8日のことです。当時、公立の中学校では坊主頭が決まりで、それが嫌で中学受験の勉強をしていたのですが、その夏休みに「心臓が取り替えられる」というニュースが流れてきて、本当に衝撃を受けました。 ところが患者さんが術後に亡くなった途端、報道が一変しました。それまで「神様」のように扱われていた和田先生に対しての扱いが突


心臓移植の歴史 【28】隠れた進展と研究者たちの努力
章28: 隠れた進展と研究者たちの努力 心臓移植を志す外科医たちの表立った進展は少なかったが、その背後では重要な研究が着実に進められていた。拒絶反応の管理が改善されたことにより、実験動物の生存期間は飛躍的に延びた。 リチャード・ロウワーは、強力な 免疫抑制剤 の使用により拒絶反応を抑える試みを開始し、必要に応じて投与するアプローチを採用した。また、彼とシャムウェイは共同研究により、ある動物に新しい心臓を移植し、それを1年以上生存させることに成功した。 ロウワーはその後、1965年にバージニアへ移り、ジェームズ・ハーディの研究とは対照的な手術に挑んだ。人間の心臓をチンパンジーに移植するという試みだった。世間の反発を恐れて公表は控えられたが、この手術は大きな成果だった。初めて、人間の拍動する心臓が故意に止められ、取り出され、別の生物の体内に移植されて再び鼓動を始めた。チンパンジーは数時間生存し続けた。 【用語解説】 免疫抑制剤 体の持つ免疫力を抑えて、移植した臓器に対する拒絶反応を抑える薬剤のこと。
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